神秘的な経験
プロフィールの中で、2回にわたって簡単な自己紹介と、モンテッソーリ教師として担任を持つまでの資格取得の道のりをお読みいただきました。
プログラマー及びシステムエンジニアとして13年の経験を持ち、ロジックを追ってプログラムやシステムを構築するのが好きだった私が、なぜ、幼い子供と関わる教育の世界に飛び込んだのでしょう。また、子供が幼くて仕事に出られないときに味わったライターの仕事も好きでした。本も一冊書いたんです。家にいて、調べ物をしたり、一人で筋道立てて本をまとめるのが好きだったのに、なぜに、苦労して教員に?
実は、ちょっと神秘的な出来事があったんです。
国際結婚の夫との不仲
運命の人と思って、親の反対を押し切って国際結婚をしたのですが、出産以来、夫とは心の距離が離れていきました。人間なんて子供ができれば自然と母親・父親になるのかと思っていたら大間違いでした。18ヶ月しか離れていない上の二人の育児をやっていたら、拗ねてしまった夫。なんてこっちゃ、です。
それでも、異国の地で頼れる家族もなく、収入の当てもない私は、我慢するしかありませんでした。子供が成人して家を出て行って夫と二人きりになったら、どうするんだろう。恐怖でした。小学校も、中学も、高校も、大学も、就職も、青年海外協力隊も、全部自分で選んで努力してうまく行ってきたのに、初めての無力感。結構絶望的な日々の中、すがるようにいろいろな精神世界的な本を読んでいたら、人間は生まれてくる前に 人生の課題(コスミックタスク)を選んでくる、とありました。
それで、長いこと、自分のコスミックタスクってなんだろうと考え続けました。おむつを替えながら、子供達と遊びながら、授乳をしながら、料理をしながら、子供達をお風呂に入れながら、洗濯をしながら。
天からのメッセージ
そうしたら、メッセージが降ってきたんです。末っ子が1歳くらいで、上の二人は学校へ行っていて、末っ子を庭で遊ばせながら割と無心に洗濯を干していたら、突然「平和」という言葉が私の中に降りてきて、その瞬間、バラバラのジグゾーパズルのピースが一瞬で一つの絵になるような体験をしました。今でも、くっきりとその時の感覚を思い出せます。
コスミックタスクを考え続ける過程で、自分に得意なことってなんなんだろう、自分が貢献できることって何だろうとは考えていました。家事一般が苦手で好きでもないし、ITの世界だって得意ではなかったし、英語も大したことないし、でも、人と比べてちょっと上手いのは、子供に関することだなあとは気づいていました。子供の泣き声にちっともイライラしないし、公園に子供を連れて行くのも、公園で他の子供を観察するのも面白くて好きだし。ショッピングセンターなどで、知らない小さな子供から微笑まれたり、手を振ってもらうのもしょっちゅう。
「平和」という言葉が降ってきたときに、一瞬にして、子供を介して何か平和に貢献するのが私のコスミックタスクだ、って気がつきました。そして、モンテッソーリ教育の3〜6歳担当という仕事が、すんなりと結びついた次第です。
平和について考える
平和といえば、これも色々あって。まず、父は、15歳の時に長崎原爆を10kmくらい離れた洋上から目撃しました。祖母は、親戚の安否確認のため翌日長崎市内に入り、原爆手帳を交付されていました。母は、北九州で大空襲を体験。八幡製鉄病院の医師だった祖父は、その時、何日か家に帰ってこなかったそうです。子供の頃は、父母からそういう体験談を何度となく聞かされました。私は、同年代の人に比べると、戦争に関して考える機会が多かったと思います。
青年海外協力隊でスリランカに赴任中は、スリランカが長年にわたる市民戦争の真っ最中。いつも通っている道でバスが爆破されたり、夜中に銃撃音で起きたこともありました。バスに乗るときは、持ち主不明の怪しい荷物がないか、チェックする癖がついていました。
モンテッソーリ教育と平和教育
マリア・モンテッソーリは、第二次世界大戦が終わったときに、「世界平和を築くのは、政治家でも、学者でもない。子供達だ。」と語りました。まさにその通りです。世の中にはいろいろな教育法がありますが、平和と教育について多く語っているのは、あまりないのではないかしら。マリア・モンテッソーリは、”Peace and Education(平和と教育)”という本を書いていますが、恥ずかしながら、私はまだこの本をしっかり読んでいません。しっかり理解できたら、このブログで私の思いを書きたいと思います。
教師になるにあたって、生徒たちが将来、世界平和の構築者になるように、との密かな思いを持って過ごしています。思っているだけではダメだから、クラスにこっそり仕掛けも作っています。それも、おいおい、書いていきますね。
自分の人生の前半で体験したことが、自分のコスミックタスクと結びついて、世界の平和の実現になんらかの形で僅かでもお役に立つといいな。